ろばーと気まま雑記

気ままに書いてきます

8年。

今日で8年。
8年あったら中学生が成人してるよ。自分のことなんだけど。
東日本大震災は自分が人生の中で初めて被災した災害だった。
被災といっても東北地方に住んでいたのではなく都内23区だから気仙沼なんかに暮らす人たちからすると“被災”なんて言うのはおこがましいのかもしれないけど。

あの日は朝から本当に何とも無い日だったという記憶がある。
もはやちゃんと覚えてないからもしかしたら違ったかもしれない。
でも自分の中ではただの平和な日だった。
まだ中学生で、学級会の時間だった。
「3年生を送る会」なんかの出し物を決めていたと思う。
関東に暮らしていると地震自体はそう珍しいものではない。
でもあの日の揺れは最初から違った。
音が違った。
そもそもそれまでに経験した地震で音が鳴るなんて事は無かったと思う。
あの揺れは最初にドンッという突き上げるような音が鳴った。
今となっては本当に鳴っていたのか記憶の中で何かを作り上げてしまったのかよく分からないけど。
担任は若い男性教師だった。
中学生のくせに「あ、先生パニックになってる」とか思ってた。
実際わりとパニックだったんじゃないかな。
仕事中に大地震。目の前には預かっている子供たち。
自分はなんだか冷静だった。
冷静なつもりだっただけで本当は興奮していたのかもしれない。
クラスでも結構まとめる側みたいな扱いだったから、その時だって学級委員だったから、先生がパニクってるって認識した瞬間から何かの責任感みたいなスイッチが入った感覚をいまだによく覚えている。
先生ごめんなさい。本当は落ち着いていたのかもしれないですよね。
むしろ自分が中学生のくせしてどこか焦りすぎていたのかもしれません。

「捕まって!」だか「机の下!」だったか忘れたけどとりあえず何かを叫んだ。
みんな急に始まった揺れに反応ができてなかったんだ。
避難訓練は心の準備には何の役にも立たなかったけど、きっかけを作れば体が勝手に動き出すのには効果があった。
自分の声に弾かれたようにクラス全体が動いた光景はコマ送りみたいに見えた。
当時自分が住んでいた地域での震度は5強とかだった気がする。
縦に揺れた後に横にむっちゃ揺れた。
揺れが収まってからは訓練通りで、緊張感を無くしてちょっとはしゃいだりする子もいた。
上履きのまま校庭に出て、点呼取って、教頭先生が何か話してたかもしれない。
各自の親が学校まで迎えに来てその日は何も持たずに上履きのまま帰った。
帰ってテレビをつけると津波の映像が流れてた。
いまでこそ記号みたいな扱いで節目の日なんかが来ると注釈に「津波の映像が流れます。ご注意ください」みたいなんが出てるけど当時見たときは完全に言葉を失った。
外国で起きた津波で英語が飛び交いながら見慣れない外国の建物が流されてるのと、日本語が交わされながら日本の建物が流されていく映像ではまるでインパクトが違った。
しかもさっき自分が人生最大の恐怖を味わされた揺れで起きたやつだ。
自分が揺れで感じた恐怖よりも津波の映像を見たときの呆然とした感覚の方が怖かった。

翌日以降は普通に学校だった。
自分の地域に日常が戻るのにそう時間はかからなかったと記憶している。
まだガラケーの時代で、SNSもなく、家でニュースを見るくらいしか震災の情報に触れる事はなかった。
恐怖の感覚の風化は早い。
間もないうちにYoutubeなんかでACのCMをネタにした動画が流行った。
「グレートありがとうさぎ」とか「キングさよならいおん」とかね。
計画停電は面倒だったけど楽しくもあった。
電気が元に戻る事が分かってるからこそ楽しいとか思えたんだろうな。

高校に上がるのと同時に関西に引っ越してくると、周りでは東日本大震災の扱いはあぁそんなのあったねレベルだった。
実際ほとんど揺れなかったと聞いたし、その経験がなければいくらニュースであの映像を見たってそんなの遠い国での出来事と変わらないんだなと思った。
逆に自国での災害でもこれくらいの共感度合いなのにどこかの国の戦争を見せられて共感してと言われるのも難しい話だ。
理屈ではよく分かってると思う。
そういうものを見た時にどういう気持ちになってほしいと思われているのかを掴むのなんて、日本の学校で教育を受けていればそう難しい話ではない。

問題は真に共感する事だ。
共感してどうするのかと問われると困ってしまうけど。
無理して何か思わなきゃってなるよりは良いのかな。
あと何となく世間でのそれらの扱い方に違和感を持てるようになるかもしれない。
持ったところでそこから何かを変えて届けられる人なんて極々限られているだろうけど。
その違和感を持てるようになる事が幸せな事なのかどうかは自分で決めてもらうしかない。

なにが書きたかったんだっけ。
そう。震災どんどん忘れていくな〜ということ。
どうせ今日の夜は何かしらの特番が組まれているんだろう。
冒頭にあの日の映像が流れ、被災地のその後を描き、被災者の方々になんかインタビューとかしてるよくありそうな構成のやつ。
そうじゃない。
災害を記号として捉えるようになったらそれはどこかの国の戦争を見るのと変わらなくなってしまう。
あの日の記憶を少し思い返すだけで十分なはずなのだ。
その日の出来事が大きいか小さいかはどうしようもない。
分からない感覚は分からないんだからそれを認識した方がよっぽど良いんじゃないかと思う。
記号として捉えるよりも分かんないって分かってる方がよほど貴重だと思う。

なにが言いたいのかって特に何か伝えたい事があるわけではなくただキーボードを叩いてるんだけど。

みんなでちょっとだけあの日に帰れば良いと思う。
全員が等しく記号としてのあの日を追体験する必要はない。
あの日自分が何をしていて、どんな形で震災の経験を得て、それに対してその時どう思っていたのか。
それを自分の中で把握すれば良いんじゃないかな。

なんてね。
ここまで読んだ人がいたとしたら相当な物好きです。
特に伝えたい事は無いけれど何かが響けば幸いかもしれない。
深夜に作ったのでこれはいわゆる黒歴史記事とやらになりそうだ。
ではでは。