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【映画】感想『花束みたいな恋をした』

昨年末の試写の段階からTwitterで話題で見かけていて、1月29日に公開された現在話題沸騰の映画『花束みたいな恋をした』。

脚本に『東京ラブストーリー』『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』『カルテット』『最高の離婚』などを手がけたテレビドラマ界では有名な脚本家・坂元裕二さん、監督には『罪の声』『カルテット』『ビリギャル』の土井裕泰さん。

そしてメインキャストには菅田将暉くんと有村架純ちゃん。

作品情報の時点でも"勝ち確"みたいな作品ですが、至るところで絶賛されていてどうにも気になったので映画館行ってきました!

地味に2021年初の映画館となりました。

ということで、ざっくり感想を書いていきたいと思います。
※以下、ネタバレを存分に含むので未鑑賞の方はご注意ください!

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©️「花束みたいな恋をした」製作委員会

ストーリー

まずはストーリー面の感想を。

以下、公式HPより。

東京・京王線明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った山音麦(菅田将暉)と 八谷絹(有村架純)。
好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。
近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。
まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。

"何も起きなかった2人"の物語

この映画、めちゃめちゃ雑に言うと「どこにでもいるような少しオタクっ気の強い大学生2人が、ちょっぴり運命的な出会い方をしてしまって、実は趣味嗜好がめちゃくちゃ合って意気投合、5年間の幸せな時間を過ごすも結局は別れる」だけなんですよね。

良くも悪くも、何かが起きたわけじゃない。
ただ、ほんの少しの間だけ互いの人生の交わる時間があっただけ。以上。
なんですよね。

でも、そのただの生活・日常・人生の表現がエグいくらい丁寧で、かつそこに投げ込まれる坂元裕二さんの台詞回しが揺さぶりをかけてくる。

そうやって"何も起きなかった2人"の物語を追いかけていくのが『花束みたいな恋をした』という映画だったかなと思います。

サブカルポップカルチャーが彩り、そして呪う2人の関係

作品全体を通して何度も何種類も"固有名詞がそのまま"登場するサブカルチャーポップカルチャーのコンテンツの数々。

麦くんと絹ちゃんの関係はこれらのコンテンツに対する趣味嗜好の一致で始まっていきます。

適当に挙げるだけでも
天竺鼠押井守ロード・オブ・ザ・リング、きのこ帝国、今村夏子、カンブリア宮殿ゴールデンカムイ早稲田松竹下高井戸シネマAwesome City Club宝石の国ONE OK ROCKシン・ゴジラ新海誠ゼルダの伝説、etc, etc...

何ならクマムシの「あったかいんだからぁ♪」に学生のラーメン趣味、2015年当時に準拠したiPhoneの型、「さわやか」のハンバーグ、GReeeeNの「キセキ」、SEKAI NO OWARIの「RPG」、リクルートスーツ就活と、スマスマ最終回と、もう本当に当時の20台を囲んでいたであろうコンテンツの再現度がすごい。

そしてこれらが出てくるテンポ感とか、当たり前のように登場している特別感の無さがまた。

日常に溢れるサブカルポップカルチャーのコンテンツが2人の関係を結び、深めていってくれる。

これが物語が進むと呪いに反転していくんですよね。

就職して激務に苛まれる麦くんは絹ちゃんと違ってこれまで通りにコンテンツを追いかけ、消化していくことができなくなる。

ブレワイはゾーラの里まで、ゴールデンカムイは7巻で止まり、宝石の国は内容を忘れ、その他の文芸作品に触れる余裕すらない。

ここ「時間が無いじゃなくて余裕がない」がゾッとしましたね。

「息抜きにならないんだよ。頭入んないんだよ。パズドラしかやる気しないの。」というセリフ。

よく聞く言説、"コンテンツを追いかける体力を失くしたらオタクとして死亡"のまさにそれだなぁと。

そしてコンテンツを通して繋がっていた仲だからこそ、摩擦が酷くなる。

本編でもこのシーン以降は確実に「終わりの始まり」でしたね。

「花束みたいな恋」とは

花束は貰った時はとても綺麗だけど、どれだけ頑張ってその後手入れしてもいつかは枯れてしまう。
だからといって「いつかは枯れちゃうから」と受け取らない人はいない。
枯れてしまっても、捨ててしまっても綺麗だった時間や思い出は残るし、思い出せる。

劇中の言葉も引用すると「花束みたいな恋」はそのまま「はじまりはおわりのはじまり」を意味してるんですよね。

タイトルからも、上も含めたその他の劇中の言葉からも、確実に「別れ」に向かって進んでると知りながら鑑賞するからこその第三者視点がありました。

序盤の多幸感溢れるスタートからファミレスでのラストとその後別れたのに仲の良いエピローグまで含めて、めちゃめちゃ上手くタイトル回収されているなぁというか、タイトルと作品の関係性に震えました。

演技・脚本

菅田将暉有村架純ナチュラル感

もうこの2人の演技のナチュラル度合いがすごすぎなんですよね。
本当に違和感を感じない。怖いくらいに自然体。
演技をしている感じが全然ないし、台詞を言ってる感じも全くしない。
劇場出てから初めて巧いな〜と感じるレベルでした。

台詞に仕込まれたフックの量

これがいわゆる"坂元裕二節"というやつなんでしょうが、本当にセリフに感心させられっぱなしでした。

ウィットに富みながらも温度感があるというか。

ドラマはあまり見ないタチなので全然知らない方だったのですが、最近ようやく脚本家とか演出家の名前で作品鑑賞をしていく楽しさも覚えてきたので、これを機に覚えておこうと思います。笑

その他雑感

ここからは作品本編外で思ったことなんかを。

恋愛2周目の人への映画かもしれない

行った映画館と時間帯的に高校生集団が多かったのですが、観賞後に周りから聞こえてきた声の多くが「いや、分からん分からん」って言ってたのが印象的でした。

そっか〜、分かんないか〜とか思いつつシアターを出てきたのですが。笑

確かに『花恋』では何かドラマチックな障害が立ちはだかったわけでもなければ、特別相手に失望するような事故が起きたわけでもない。

ただただ辿り着いたゴールが、見えていた気がするけど信じたくなかった場所だった。
それだけなんですよね。

もし絹ちゃんがファミレスでの麦くんの説得に納得していたら、あの場にあの席にあのカップルが案内されてこなければ、それ以前のifもたくさんたくさん考えられるけれども、"枯れた花はもう咲かない"し、それは受け入れる以外に方法はない。

それって、もしかしたら一定以上の期間で交際経験のある人しか知り得ない感覚なのかもしれないなぁ、とか思いました。

邦画鑑賞の難しさみたいなもの

何となく前に知人が言ってたことを『花恋』で思い出したのですが。
曰く、"邦画って見る人の経験値に依存してる"部分が大きいなぁという話。

『花恋』だと例えばサブカルポップカルチャーに対する造詣の深さだったり、はたまらそれを恋人と共有した経験、上でも触れたような何でもない別れなんかをそれまでの人生で経験してきたかの有無で観賞後の態度がかなり変わってくるのかなぁと思ったりして。

知人曰くそれが邦画が世界で戦えない理由なんじゃないかと言っていましたが。

もちろん洋画にだってそういう性質はあるはずなんですけど、邦画の、さらにこの手の作品はやっぱり写実的なものが多いので、そういう部分あるよなーと感じました。

京王線へのサムシング

めちゃめちゃ個人的なことで恐縮なんですが、私4月から就職のための上京で京王線沿線に住む予定で...
なんなら駅出てきてて...
こんな映画見せられてお前ちょっとふざけないでいただきたいなぁと勝手に思いました。笑

1番心に残ったシーン

やっぱり最後のファミレスのシーンですかね!
というかその前の結婚式後のデートから明らかに2人とも「終わり」を分かりながら楽しんでる素振りがあってめっちゃ辛いし。

土壇場に来た時の麦くんの必死の説得も染みましたね。
あぁ、確かにそうかもしれないなーって。結婚って、人生を共に歩むってそういう要素も認めないといけないものなのかもなーって。

でも、そこで昔の2人そのまんまのような初々しいカップルが2人の前に現れて。

それはまだ咲いてる花束で、2人はもう水の抜けきってしまった花束だったもの。

その対比を本人たちも自覚してしまうのが、切なかったですね。

みたいなわりと劇的な展開がありながら、結局2人も良い大人な年齢なので次の生活の目処がつくまではそれなりの仲の良さで同棲してる部分がむしろ1番来るものがあったかもしれない。

それだけ清々しく過ごせるのに、もう元には戻せないんだよなぁと思いました。




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